これが私の書きたいこと! 失いながら生きる(23)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

失いながら生きる(23)

埃にまみれた「アガスティアの預言書」を引っ張り出して、再度読み返したとき、自分の想像を超えた存在が自分の今回の人生のシナリオを書いておいてくれていたことを思い出すと共に、毎日頭から離れない子供たちの将来に対する自分の責任から、ほんの少しだけ自由になれたような気がして、重苦しい日々の一服の清涼剤的な効果はあった。
 しかし、自分が最も興味のあること――――解脱に関しては、ヴァラドワージャの預言書とは異なっていることや、今生での解脱を絹川氏に祈ったことなどを考え合わせると、この預言書どおりの人生は少なくとも自分に関しては書いてある通りにはいかないだろうことに思い当たり、預言書が捧げてくれた非日常的な数時間は、あっけなく記憶から遠ざかっていき、書かれていた今後の人生のシナリオに関して、既に大方は忘れ去っている。

 20年くらい前からだろうか、所謂「精神世界」と呼ばれる書籍のコーナーが大きな書店に出現したのは・・・。自分の本棚にはインドの宗教関係の書籍は勿論、この精神世界関連の書籍も多数並んでいる。「前世療法」「魂の伴侶」「ソウルメイトを探して」「心の執着を超えて」「聖なる予言」「ラムサ――真・聖なる預言」「自分のまわりでいいことがいっぱい起きる方法」「道は開ける」・・・
 
 40歳で大パニック発作を起こして、本格的なうつ病に移行する前までは、自分はこの精神世界関係の本を読むのを非常に好んでいた。それは、結局、どの書籍も輪廻転生を大前提に書いてあるものが殆どであったし、何より、全ての事象の原因は自分そのものの中にあり、「全ては一つ」というインドの宗教を踏襲したような内容のものばかりで、半ば得意げになって読んでいたように記憶している。
 そして、自分は無邪気に「身に起きることは最善」「人は自分の鏡」「全ては必然」「あらゆる人に感謝」・・・などということを本気で実践していたつもりだったし、ふと思い浮かべた友人から突然電話がかかり、滅多に会えないような偉いお坊様の講和会に誘われたり、朝のラッシュで込み合う銀座線で偶然、高校時代の友人と隣り合わせになったりしたりすると、この世界が全て、ある一定の法則の下で完璧に調和して動いているような確信にも似た信仰を抱いていた。
 これは、真実なのかもしれない。必要があって自分はパニック発作に見舞われ、うつ病という長いトンネルに身を投じたのかもしれない。これは自分にとって最善のことなのかもしれない。病院で知り合い仲良くなった患者とは必ず今生で会って借りを返さなければならない相手なのかもしれない。しかし、自分の40代の半分は入院・静養に費やされている。合法覚せい剤「リタリン」が長期のうつ病患者に処方が許されていたので、自分はこの薬に依存するようになり、離脱症状の苦しさから自傷行為を繰り返していた時期もあった。お陰で、体中、治らない麻痺や変形がいたるところにできている。これも必然なのだろうか・・・

 普通の暮らしを送っていた頃には、この手の書籍は日常生活において特効薬的な効果があった。何か悩みごとが発生すると、書籍のアドバイスを参考に、心の中で苦悩している問題に対して価値を与えて、非常に前向きな結論を引き出して、神に感謝して床についたものだった。
 しかし、うつ病は全ての「やる気」を根こそぎにしてしまう厄介な病気である。ここ数年、本棚に並んだ書籍を思い出したことすらない。字を追うことができなかったのである。

 今日は難解ではあるけれど、一番熱心に読んだ「ラムサ――真・聖なる預言」を引っ張り出してみた。この長いトンネルを抜け出せる方法は見つけられなくても、せめて我慢できる思考を探してみようと思い立ったからだった。自分は好きな言葉の箇所にラインマーカーで印をつけることがある。この本にも沢山のマーカーの後があった。

 「彼の真実は『在ること』だ。神はあなたが何をしようと関係なく、あなたを愛している。なぜなら、あなたは自分のすること考えること全てを通して智恵を得ているのであり、その智恵が人生(つまり神そのもの)を更に豊かにしてくれるからだ。あなたが永遠の存在であること、そして、あなたが永遠の存在であること、そして、あなたが何をしようともその行いがあなたから生命の力を奪うことはできないことを、神は知っている。だから、あなたがこの地上界を去り、自分の人生でしてきた全てのことに思いをめぐらすとき(これは必ず誰もがすることなのだが)、神はやはりそこにいて、これから先にある数限りない明日に向かってあなたを愛し続けてくれるだろう。なぜなら神は、あなたの幻、空想、夢、そのすべてが作り出される舞台だからである」

「父なる存在とは完璧な喜びである」

「この人生はすべてゲームなのだ。それは幻なのである」

「思考によって自分を無知や病気や死へと追いやる力が内面にあると気づく時、さらに大きく広がる限りない思考の流れに自分を開いてやるだけで、自分にはもっと偉大なものになる力があることにあなたは気づくだろう」

 これらの言葉の羅列は発病前の自分にとっては、聖書の福音に匹敵するほどの威力があったようである。しかし今読み返してみると、これらの言葉に力を感じられなくなっている自分がいることに気づく。この本には言葉の限りを尽くして、肉体を持って生きる意味や神と呼ばれるものの本質が語られている。以前は意味が分からず、勉強会に参加したりしては大事なことを教えてもらったりもした。結局は「自分」というのは「命」そのものであり、それが神であり、完璧な喜び・完璧に光り輝く神であるからして、神に会いたければ鏡の前に行けばよい・・・・と。

 鏡に映る自分はうつ病に翻弄されて、くたびれ果てて、覗き込む瞳は絶望的な水溜り以外の何物でもない。しかし、ラムサは今日の思考が明日を作り出していくと何度も読者に語りかけている。いつまでも、何で治らないのかと絶望して薬を飲むよりは、明日はこの薬がどんな素晴らしい一日を用意してくれるのだろうと思って飲んだほうがいいのだということはわかる。しかし、早く治りたい一心で毎日薬を飲んできた自分は、毎日薬に裏切られてきた。

 今から自分がすべきことは恐らく、これだと感じたものに関して、もっと信じる努力をすることなのだろう。数え切れない程の前世でやらかした行為に関して、「善も悪もない神と不可分な自分」が、何かに対して「償う」必要などなかったのに、自らの神性を全く忘れ去っていたがためにカルマという名目で勝手に今回の人生に苦悩や罰を仕込んできてしまっているのなら、そんな必要はないのだと、自分の思い込みから自分で自分を自由にするしかない・・・ラムサはそう教えているような気がした。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

二つの事を考えました。

一個目は本の事で、
本という奴は、議論の余地無く、勝手に耳元に独自の見解を吹聴する性質がある。
これは大変な事だと思うので、結構気をつけているのです。
つまり、これは自分の考えとマッチして、背中を押す効果のあるものだ、
と確信できなければ絶対に読まない。ということです。
あと、
読むときの心理状態もかなり関係するんですね。
自分の都合の良いように読む。とか、
逆に都合の悪い方向にばかり意味を選んで理解してしまう、とか。
書く方も勝手なら、読む方も勝手なんだなぁ。と思うのです。

ほら、こんな感想を書いているぼくもw

2個目は、
何か問題を抱えて、すがっているにも関わらず、
結局自分でなんとかしなきゃいけない。という結論になる。
そういうことが往々にしてある。
というよりも、それしか無いのではないか?と思う程。

「気の持ちよう」ってよく言うけれど、
言う程簡単じゃないって。いつも思うものです。

ありがとうございました。
また、楽しみにしてますねw
プロフィール

アバター薫子

Author:アバター薫子

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
8735位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
主婦
975位
アクセスランキングを見る>>
ランキング
気が向いたら記念にポチっとお願いします!
フリーエリア
ユニセフ
http://www.unicef.or.jp/img/link_120_60.gif
フリーエリア
高校生の頃よく聴いてました
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。