これが私の書きたいこと! 失いながら生きる(21)

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失いながら生きる(21)

46~48歳】
 よりよい結果を得る。二人の子供は良い教育を受ける。彼らは彼らの人生で幸運を得る。何も問題はない。障害が起こらなければ、彼らは幸運を得て、良い教育を受ける。

―――この時期長女は、県立の進学高校に入学したが、バレエとの両立が難しかったので、休学してヨーロッパの、ある国の国立のバレエ学校に留学した。その学校はヨーロッパの、あるバレエ団のプリンシパルを努めていた有名な男女が理事長と校長に就任しており、有能な講師陣も揃っていて正しいクラッシックバレエの基礎からコンテンポラリーダンスやコリオグラフ(振り付け)、即興など、日本では考えられないようなレベルと環境で十分な教育を受けることができた。入学して暫くしてスカラシップが降りるようになり、学費・寮費・生活費・病院代の全てが留学先の国からの支出でまかなわれるようになるという権利を手にしたため、自分たち夫婦は思いがけない幸運に恵まれた。
 また、ヨーロッパの有名なコンクールにも何度か参加を命じられ、娘はマラーホフの審査を受けて「彼女は綺麗な踊りをする」という夢のような感想をもらい、貴重な体験もさせてもらった。ローザンヌ国際バレエコンクールにも学校を代表して参加するように命じられたが、これは学校側が一つの学校から参加できる生徒の数を把握していなかった為、敢え無く男子のみの参加となってしまったが、選ばれたことに対して、親はひと時の夢を見ることができた。
 長男も県下で最も偏差値の高い高校への入学を塾の教師から勧められたが、本人は受験の本番で失敗した場合、長女の留学の継続が難しくなるかもしれないからという理由で、レベルを一つ下げて家から自転車で通える進学高校に入学し尊敬できる教師との出会いがあり、世界史に並々ならぬ興味を抱くようになった。

【48~50歳】
 なかごろで、息子が健康面のトラブルと危険を抱える。悲しむだろう。手と足に問題を抱える。武器、車関係による危険にあう。心配するだろう。神の恩寵により、これらの問題を乗り越える。彼女の願いに従い、彼女の子供達は健康に恵まれ、良い教育を受ける。

―――まさにこの期間の中ごろ、高校生だった長男は長い下り坂を自転車で全速力で下っていたという。交差点に達した時に、彼は車両と激突しており、自転車は大破。運転手は「青年は死んだ」と思ったと言う。しかし、長男は車両にぶつかる直前に自転車から飛び降りたのかどうか定かではないが、数十メートル飛んで地面に落下してはいたものの、ふくらはぎに青あざができた程度で、無事に難を逃れることができた。
 自分は長女のバレエにばかりお金をかけて、長男には習い事一つさせてやることができなかったのが気になっていたので、彼が小学校6年生の夏休みの時を利用して、夫の退職金を前借りしてインドにあるサイババのアシュラムに10日間ほど滞在させたことがあった。物質的に恵まれない殆どのアジアの国の中で、この日本に生まれ育ったことがどんなに幸運なことなのかを実感できる年齢に達したと判断したためである。しかし予めサイババに関して何の予備知識も与えていなかった上に英語にも接したことのない学齢であったので、彼にとっては些か退屈な日々でもあったようだが、毎日、日本人帰依者で集まり、それぞれが持ち寄った楽器を使ってバジャン(神に捧げる讃美歌のようなもの)の練習を行った。ハーモニュームやフルートやタブラやら色んな音の出る楽器とともに歌うバジャンは、音楽に興味の在る彼にとっては非常に魅力的な時間だったようで、嫌がるかと思って心配していたが、それは自分の杞憂であったようで、本人はバジャンのことを「好きだ」と語っていた。
 また、このときに7~8名の日本人の青年が来ており、彼らとすぐに打ち解けて、まるで兄弟のように接してもらい、人を信じるということができる人間にしてもらった。その上、父親はドイツ人、母親は日本人、通っているのはアメリカンスクールという同級生の男の子が混じっており、彼が流暢に英語を操りインド人ともスムーズに会話を楽しんでいるところに何度も出くわしていたため、「英語が話せないと世界が広がらない」ということを強烈に実感できたようで、彼は高校3年生の今でもイギリス人から英会話のレッスンを熱心に受けており、成績も理数系であるが他の教科よりも英語が一番得意な科目になっている。おかげで大学受験においても非常に有利な状況にある。

 即死してもおかしくない激しい交通事故に遭いながら無事に切り抜けられたのは、まさに神の恩寵に他ならない。サイババがどんな存在なのかは人によって様々であろうことは想像に難くないが、今回の事故に関してはサイババが守ってくれたような気がした。サイババは一度アシュラムを訪れた者に対しては、途切れなく愛を注いでいると講話の中で語っていたからである。

 また、この期間には長女もヨーロッパで毎日、厳しいバレエのレッスンに耐える毎日のようであった。太ったり、進歩がみられなかったり、情熱に欠ける、故障が多い・・・と判断された生徒は定期的に行われるテストで容赦なく退学を命じられる中、彼女は3年間のカリキュラムを見事にクリアし、プロのバレエダンサーとして十分に通用するという学校の意思を現す「卒業」の2文字にまで無事こぎつけることができた。

 実はこの長女は家族の中の誰よりもサイババと深いつながりを持っている。自分がインドのサイババの元を初めて訪れた時、彼女は、まだ幼稚園の年少組みにも達していない年齢であった。初めて訪問したアシュラムで、自分はグループインタビューに与り、沢山の物質的・精神的なお土産を持ってインドから帰宅した。自分は少し発熱しており、リビングの床の上に寝そべっていた。長女は何を思ったか、突然、「お母さん、お水飲む?」と訊いてきた。自分は別段、のどが渇いていたわけではなかったが、娘のせっかくの申し出に当惑しながらも、ありがたいなあという表情を作って首を縦に振った。娘は嬉しそうにピンク色のプラスチックのコップに水道の水を汲んできて、自分の口元に差し出した。自分は「ありがとう」と朦朧とした意識の中で礼を言うと、一気にその生ぬるい水を飲み干した。すると、それまでにあった、熱感や吐き気が嘘のように治まったので、不思議なこともあるものだと思いながらも、自分はサイババと帰依者の対話録の続きを読んだ。後半にはいくつかの戒めを含んだ逸話がサイババの口から語られており、自分は淡々とした思いでそれを目で追っていた――――ある貧しい乞食の少年が空腹を満たそうと物乞いに出た。少年はやっとの思いでバナナの施しを受け、自らも空腹で死にかけているにもかかわらず少年は一口も口にすることはせず、大事に家に持ち帰った。それは同じく空腹で死にかけている母親に食べさせてやりたいという少年の優しい一途な親を思う心からであった。「お母さん、バナナをいただいてきました」そう言って大切なバナナを母親に差し出した瞬間、少年は息を引き取った。――――手短に表現すれば以上のような内容であったと記憶している。それから自分は気持ちが良くなったからか暫く眠りに落ちたようだった。目を開けるとやはり側には娘が寄り添うように座っており、思いがけないことをしゃべった。
 
 「お母さんが眠っている時にあの人が来たよ」――――そう言いながら白いローブをまとって右手を上げているサイババの写真を指差した。

 このような空想はこの年齢の子供にはよくあることである。意図して嘘をつているわけではない。ただ空想が妄想を作り出しているのだ。娘が差し出した指の先で微笑んでいるサイババの所に自分が行って来たのだということ等、当時の娘は全く知らなかったはずである。他愛のない作り話だとは思いつつ、無碍に無視するわけにもいかなかったので興味の在る振りをしてみせた。当時、我が家のテレビは数ヶ月前から故障しており、テレビのない暮らしも時には必要ではないかと思い、そのままに放ってあった。おかげで家族とは十分なコミュニケーションが取れており、娘は同じ年齢の子供以上に言葉を多く話せるようになっているような印象があった。そのテレビの上にサイババの写真は置いてあった。
 普段のサイババはオレンジ色のローブを身にまとっているが、クリスマスの時にだけ、クリスチャンのために白いローブを着ることが慣例になっているようだった。我が家は特別なクリスチャンというわけでは勿論ないが、自分は「聖母幼稚園」というガチガチのカトリックの幼稚園で毎日毎日イエス様を称える歌を唄い、祈りを捧げ、紙芝居を見せられるという育ち方をしていたので聖書に関する知識に関しては一般の人よりは多少詳しいかもしれないし、「イエスが言った」と読めばそれは無条件に真実として受け取るような思考回路くらいは出来上がっている。
 サイババの写真に関しては、その白いローブをまとった写真が一枚があるだけで、他にはなかった。勿論、テレビでサイババが取り上げられたのは、それから随分たった後だったし、故障したテレビがサイババの姿を映し出すことも勿論なかったし、当然、彼女がサイババをブラウン管を通じて見たことはなかったはずである。
 頭が少しはっきりすると、インドで聞いてきた帰依者の不思議なサイババにまつわる話を思い出したので、まさかとは思ったが、娘にいくつか質問を浴びせてみた。

「その人はどこに来たの?」
「そこの椅子の上」

「ふ~ん、その人はどんな色の洋服を着てたの?」
「みかんみたいなの」

「・・・」
 
 これを聞いたとき、自分の心は色めきたった。娘はサイババが普段はオレンジ色のローブを着ていることなど知る由もなかった。自分は少しの期待と興奮を込めて次なる質問を年端もいかない娘に投げかけた。敬虔な帰依者でもないくせに自分はなんとおめでたくできあがっているのだろうと、このときまでは完全に自嘲していた。

「その人、何か言ってた?」
「うん。この家にバナナはあるか・・・だって」
 
 自分は、この娘の言い方と内容に驚いた。バナナに関する逸話を読んだばかりであったことと、短い言葉で数多くのメッセージを伝えるのは如何にもサイババらしいやり方だと思ったからである。その時の娘の口調は、明らかに他人のしゃべった言葉を再現する時のものだった。自分は殺虫剤で汚染されているバナナを子供に与えた事がなかった。そして、娘もバナナという果物の存在くらいは知っていたが、果物屋の前を通っても、それをねだることはなかった。当たり前である。食べたことがないのだから・・・。娘がバナナほしさに作り話をする理由はどこを探してもなかった。自分は眠りに落ちる直前に空腹の母親にバナナを差し出して死んでいった少年のお話を読んでいたことと、このメッセージを重ねてみた。恐らくサイババは本当に娘の前に姿を現したのだろう。そして、「この家にバナナはあるか?」という娘に残していった言葉は自分に対するメッセージではないかと思うようになっていた。サイババは「バナナ」という言葉を「無私の奉仕の精神」という意味で使ったのではないかという確信が自分の心の底から湧きあがってくるのが感じられた。間違いない。これは自分に対するサイババからのメッセージであると。贅沢を慎んで、少しずつでもいいから他人への奉仕を神に仕えるような気持ちで始めなさいとサイババは娘を通じて語ったのだと思った。

 その後も娘に対するサイババの恩寵は限りがない。夫の故郷にUターン転職した後、娘はクラッシックバレエを始めた。東京から定期的にみえる日本バレエ界の重鎮のような存在の偉い先生に、娘は皆の嫉妬をかうほど目をかけてもらっていた。自分がサイババのアシュラムに滞在している時、娘は発表会の稽古に追われる日々を送っていたのだが、何故か元気がなく毎日毎日、不調を指摘され、叱責される日々の真っ只中だったらしい。足の甲も故障しており、ルルベさえ満足にできないような有様だったという。医者に診せても原因がわからず、娘は長いトンネルの中でスランプに陥っていたようだった。
 自分がインドに行くのはリフレッシュが常に目的であった。帰依者の間では写真を持ち込むことで、その被写体となっている人物もサイババの側近くに行けると信じられていた。自分はそれに関しては全く信じていなかったが、何故か娘の写真をスーツケースに入れた。サイババが大晦日のテレビ番組で取り上げられた後は、日本でもちょとしたサイババブームが巻き起こっていた。サイババのアシュラムには毎日数千人が世界中から様々な問題を抱えて訪れていたが日本人の数も一時期はかなり目立っていた。サイババは整然と並んで座っている訪問者の間を雲の上を歩くように軽やかに歩いて、玉座に腰を下ろしゲストスピーカーのスピーチを聞いたり、サイババの学校で勉強している子供達の道徳的なテーマを扱った劇を楽しそうに見るのが日課である。余程クジ運が良くない限り、目の前でサイババを見ることは不可能である。

 滞在中に運よく2列目に座ることができた。自分は娘が体に力が入らずに不調にトコトン追い詰められていることを、実は知らなかった。ただあまり調子が良くないと言うことだけは何となく娘の口から吐き出される愚痴で想像することができた程度であった。娘の写真をダルシャン会場に持ち込んではいたが自分は特に期待はしていなかった。2列目に座っていても、あらぬ方向に行かれたら目を合わせることもないし、写真を見せるチャンスもない。しかしその日は運よくサイババは自分が座っている列の方へ歩いてきた。サイババと目が合うことが滞在中に一度か二度あればいい方である。期待しすぎるとサイババが反対を向いて立ち去った後の敗北感は尋常ではないので、なるべく平常心でいようと自分に言い聞かせていた。サイババはよく帰依者に向かって「あなたがどこに座っていようと私の視界に入っものは変化せざるを得ない」と語っていた。心を平安にすることがインド訪問の目的なので、自分は努めて冷静になろうとしていたが、やはり体はコチコチに固まっていたようだった。サイババは近くに来ると自分が胡坐をかいた膝の上に大切に置いている娘の写真をわざわざ覗きこんで通り過ぎていった。去っていくサイババの曲がった後姿を見送りながら、涙が自然に流れてきた。「よかったね、あ~ちゃん。ババはちゃんとあ~ちゃんの写真、見て行ってくれたよ・・・」と、気がついたら写真に語りかけていた。
 実際にサイババが写真を覗きこんだのは何秒もなかったと思う。サイババは子供のようにいたずらっぽい目をして、何か面白いものでも見るようにちらりと視線を送ったかと思うと、次の瞬間には踵を返して反対の列のほうに消えて行ったのだった。
 インドのアシュラムでは毎日が自分と煩悩との鬩ぎ合いの場でもある。翌日には娘のことなど頭から消え去り、自分の霊性が全く進歩しないことが恥ずかしく、修行らしい修行もしていないでインドに来たがる自分は不思議大好きの所謂観光客と同じではないかと恥じ入っていた。おまけに、最終日には「来年、子供を連れて来てもいいですか?」と書いた便箋の入った封筒をサイババに思い切って差し出したら、「WAIT,WAIT」と言いながら手の平で手紙をあからさまに拒否され、穴があったら入りたいほど、手紙を差し出したことを後悔した。

 インドを去るときは本当に名残り惜しくて毎回涙が出る。日本に帰れば家事と子育てと近所の奥様たちと何の興味も意味もない当たり障りのない井戸端会議・・・ただ退屈な義務だけが待っていると言っても過言ではなかった。霊性の成果を互いに報告するのは専ら東京に残してきた仲間だけだった。自分はつかの間のインドという竜宮城での饗宴を後にしてがっくり肩を落として帰国した。
 
 自分が帰ると娘は頗る元気になっていた。全てが順調に動き出したと見えて非常に陽気な笑顔で自分を迎え入れてくれた。自分がサイババに娘の写真を見せたのは木曜であった。これだけは何故か忘れてはいけないような気がして覚えていた。「ババにあーちゃんの写真見せたら、ちらっとだけど見てくれたよ」と何気なく言った瞬間、「やっぱりそうだったんだ」と、娘が夫に目配せして嬉しそうにはしゃいで見せた。「お姉ちゃんね、金曜日から急に体が軽くなってバリバリ踊れるようになっちゃって、周りの皆も先生も目を丸くして『あーちゃん、どうしたの?』って驚いて訊くくらい凄かったんだよ」と言って、今でもその状態は続いていることを付け加えて話してくれた。
 帰依者たちが言う写真の話は本当だったんだと、このときに自分は認めざるを得なかった。確かにサイババは娘の写真に興味を示した。次の日から娘は絶好調に変わった。自分のインド行きは無駄ではなかったことが唯一嬉しく感じられ、こんないい加減な気持ちで何度もサイババの所を訪れる自分のような者の秘めた願い事を彼はしっかりわかってくれていたことが帰国して初めて確認できた形になった。自分は特段驚きはしなかった。ただ、噂は本当だったんだということを身をもって体験できたことに対しては素直に感謝する気になった。ただ、自分は手紙を拒否されたことのショックから実際立ち直れないでいた。娘には沢山の幸運をくれるサイババが、何故子供達を連れて行くことを間髪をいれず拒んだのか理由が分からなかったからである。

 自分は小学生の息子を6年前にインドに連れて行った。どうせ連れて行くなら世界中から何千人もの人々が集まる場所が適当であるような気がしていたし、連れて行けば何がしかの恩寵は頂けるだろうという人並みの打算もあった。申し込むときは、最小限度の経費で手配してくれるサイババ関係者が経営しているP社に決めていたので、その時もその東京にある会社に申し込んだ。そしてインドのアシュラムに行った訳であるが、その時に小学生以下の日本人が来ていたので息子もかろうじて退屈からのがれることができたのだが、日本から目黒に在るサイババの奉仕センターの会長を努めているインド系日本人の奥様が10歳くらいのお嬢さんと6歳くらいの息子さんを連れて来ていた。そして久しぶりに会った彼女から思いがけないことを聞いた。小学生以下の外国人がアシュラムに来ることをサイババは今年から許可したのだということを・・・。
 自分は小学生をアシュラムで毎日見ていたので気づかなかったが、彼らはサイババの名前の冠のついた学校で勉強しているインド人ばかりだった。確かに、外国人の小学生は見たことがなかった。自分は何も知らずに小学生の息子を連れてこうとP社に申し込み、難なく受理されたのでまさか外国人の子供がアシュラムに来ることに対して、そのような縛りがあったことなど想像もしていなかった。随分前に自分が祈るような気持ちでサイババに「子供を連れて来てもいいか?」と書いた手紙を渡そうとした時に彼が「WAIT」と言って拒んだ理由が初めてわかり、当時の自分の落ち込み振りを思い出し、サイババの拒否は自分の子供だからというわけではなかったんだということを図らずも知ることになり、全てが納得できた。それとて、インド系日本人の会長婦人に出くわして話をしなければ、自分は永遠に拒否された理由など知ることはできなかっただろうことを思うと、これもサイババがそういうチャンスを自分のために作ってくれたのではなかろうかと思うと、やはりインドという台地の持つ限りない神秘に思いを馳せ、この国に縁があることに感謝したくなった。

 サイババが小学生以下の外国人がアシュラムに来ることを許可した、まさにその年に自分は小学生の息子をインドに連れて行こうとしたわけで、一瞬、自分は超能力者ではなかろうかと危うく勘違いするところだった。

 サイババの元には世界中から数千人の人々が恩寵を求め、霊性の向上を求めてやってくるが、娘に関してはサイババ自ら彼女に会いに現れたというわけになる。これは良い事の予兆なのか試練への準備に関する警告なのか、今のところ自分には判断する術がない。 

 (子供に関するカンダムは続く・・・)
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No title

なんか勢いよく書いてますね。
段々、文量も増えてるしw

ずっと読んでて、最近つとに思う事は、

誰が何を信じてても、いいなぁ。ということで、
信じるものは救われるというけど、
信じなくても、結局は救われそうだなぁ。などという事です。
ぼんやりとそんな事を繰り返し考えている昨今なのです。

これはちょっと大きな、面白いテーマですよねぇ。

No title

らいとさま
いつもありがとうございます。
実際は違うのですが、実質的にサイババを日本に広めたのはドクター青山さんで、彼は去年、また色んな預言書やら聖者との出来事を綴った本「神々の科学」というのを上梓されています。

その本の中身もさることながら、私のアガスティアの預言書には、私はこの1年の間に聖地でグル(精神的指導者)に会い、瞑想を学んで進化していくようなことが書いてあり、そのグルの名前もドクター青山のインド名に符号しているんです・・・。

ただ、彼とは東京で随分前にお話したこともあり、メールでちょとしたやりとりもしたこともあるので、違うかなとも思うんですが、外国人について瞑想を学ぶというのも非現実的過ぎるし・・・今は反復性うつ病性障害なんてありがたい診断がついてるんで、根気のいる瞑想は今の自分には無理かなという感じもしています。

実は、らいとさんの小説が全文掲載されているんで、プリンターで印刷して、ちょっと気合を入れて読ませてもらおうとずっと考えているんですが、時間的に余裕がなくて見合わせています。読んだら、感想をコメントさせていただきますね。

今後とも、よろしくお願いしますm(__)m
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