これが私の書きたいこと! 失いながら生きる(7)

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失いながら生きる(7)

 今回、「うつ病」と診断がくだり、入院を勧められたのは深夜のパニックの大発作から2ヶ月が経過していた。この深夜の大発作には幻聴が伴っていた。

「お前は娘のためだと言いながら、本当は自己保身が目的なんだろう」

「このままでは一家はお終いだ、お前ほど役に立たない人間はいない」

「いずれお前も、あの病棟の患者のように廃人になるだろう。苦しいぞ」

 ・・・こんな言葉で男が一斉に頭の中で囁いた。「ギャー」と声を上げて飛び起きたときも、まだその声は頭の中でこだましていた。全身がガタガタと震え、今にも気が狂ってしまうのではないかという激しい恐怖感を必死でこらえながら、横で眠っている夫に助けを求めようと顔を向けた瞬間、その寝顔のあまりの安らかさに、「この発作は尋常ではない。こんなパニックは経験したことがない。恐らく気が遠くなるほど苦しむ日々を耐え忍んで、これから何年も森田を実践していかなければならないのだろう。この人に私の胸中は決してわからない。このような問題には配偶者とてなんの助けにもならない」自分は「自分が一人である」ということをこの瞬間にはっきりと理解した。

 当時、自分はアルコール依存症患者も収容されている、ある精神病院に看護補助として勤務していた。娘にかかる経費が常に頭から離れなかったので、何か資格をとって働かないと娘はバレエを止めなければならなくなる・・・。そこで精神保健福祉士の免許を取ろうと思い立ち、看護補助を募っていたある精神病院に履歴書を出し、自分の将来の計画を話してみた。
 自分をよい働き手であるとして高く評価してもらって、資格が取れたらケースワーカー部門に配置転換をしてあげようと、ありがたい約束を総婦長からもらった。勉強して資格を取っても、あなたの年齢では正直、就職は無理でしょうと、通信教育の担当教師から言われていたので、コネを作らなければ資格も絵に描いた餅も同然。とにかく精神科のある病院にどんな形でもいいから、まず労働者として入り込んでおけば、少しはコネになると判断していた自分にとっては、理想の職場に映った。時給もいい、将来も保障してくれて、おまけに期待までかけてもらっているわけだから。
 しかし、自分は考えが甘かった。自分は精神病院に入院したことがあるから患者なんて怖くないと、はなっからタカをくくって病棟に乗り込んだのだが、そこにいた患者は今までに見たことのない種類の人達だった。

 アルコール依存症の患者は断酒すると手が震えたり、妄想がおきたりするのだ―――――くらいの知識で、自分は一番楽な病棟に回されたと思い込んでいた。病棟の入り口の鍵を開け、中に入った途端、自分は家に帰りたくなった。しかし自分には精神科でいずれケースワーカーという専門職の椅子を空けて用意してくれている人がいるのだから初日に音を上げてはいけない。、こんな所でも看護師は平気な顔で笑っているではないか、自分は精神病の経験者なのだ、病人の経験のない看護師達が笑っている所で、病人の経験のある自分が仕事ができないはずはない・・・と。

 しかし、やはり私はこのときに帰るべきであった。アルコールはシンナーのように脳をも溶かす化学物質である。動きもしない、口もきかないロボットのような患者の群れを初めて見て、自分の頭の中に「廃人」という虚しい言葉が浮かんでいた。彼らはただ生きているだけのように見えた。非常に残酷な生き方を強いられている人を目の当たりにして、自分は危うく無神論者になりかけたほどだった。恐らく、彼らは自分自身にとっても、家族にとっても、死んで片付いた方が遥かに幸福であろうと心から同情した。

 看護補助として汚物の掃除やら、あらゆる病棟のトイレ掃除をしている間に、働きなれていない体が悲鳴を上げ始めた。
 気が遠くなるような疲労に対して背水の陣をしいて,青色吐息でしのいでいた。その時には気づかなかったが、他の看護助手さんは毎日トイレは掃除するんだから、とにかく分単位で仕事が待っているので一々隅々まで綺麗にする必要はないのだと言って、かなり手を抜いていて、食事の時間だけ守ればいいという構えで時間をやりくりしていた。
 しかし、自分はなまじ入院歴があるので、患者にとっては病棟は一時的に住居になるわけで、そのトイレの壁がしぶきのシミで覆われていたら患者は安心してトイレを使用できないことを知っていたので、毎日毎日、入念に掃除に精を出していた。「そんなに時間をかけなくても、毎日掃除はするんだから大丈夫よ」と言われたので、長い入院生活を強いられている患者にとっては、ここは家も同然だし、自分は神経質なタイプだから隅々まで掃除しないと気がすまないんです・・・と先輩助手さんに話すと、

 「あなたは立派ね。私はそこまで考えていなかったわ。考えたらそうよね。私は壁までは気づかなかったわ。いい勉強になった・・・」

 と言ってくれたが、やはり私の綺麗基準で掃除をやっていたら、いくら時間があっても足りないということがわかった。
 食事の準備は時間通りに毎日行わなければならないので、他のところで手を抜くしかないと悟った時には、自分の疲労は肉体的にも精神的にも限界にきていた。人間は機械ではない。

 経理・総務をやっていた夫は35歳で途中入社している。その夫が課長に昇進してから年収が100万円ほどダウンした。娘の習い事には年間100万円以上かかっていた。息子を塾にやるお金もなくなった我が家では、毎晩電卓を叩いてはノイローゼ寸前になろうかという深夜になって夫がやっと帰宅するという状況だった。お金の相談を持ちかけても夫は会社でも金の計算ばかりやっているんだから、家で金の話はするな・・・と言わんばかりでまともに打ち合ってもらえなかった。
 そんな中で自分はパート仕事を見つけるために履歴書を書いては、残念な結果を受け取る日々だった。なまじ国立大学出身で、通信教育をやっている大手の企業で大学受験講座の添削指導員をやっていたことなど履歴書に書かないほうがよかったのかもしれない。プライドばかり高くて、経営者の指導も満足に聞き入れない扱いにくい中年婆さんと、自らカミングアウトしていたようなものだったのだろう。自分はそんな人間では決してないつもりだが。

 「廃人」だと思っていた男性患者が自分にシップ薬を無言で差し出した。
 突然のことだったので、わけが分からずにうろたえて、周囲の働かない看護師達に視線で助けを求めたら

 「貼ってくれっていう意味よ」
 
 と笑いながら教えてくれた。勿論意外だったせいもあるが自分は恐ろしかった。とにかく恐ろしかった。このような患者にも痛みを感じるセンサーがあり、それを治したいという普通の人間の願望があることがわかったからだ。その痛みが治まったところで彼の人生のQOLの何が向上するというのだろうか?彼には絶望しながらただ命を長らえるという人生が残されているだけではないのか。薬など貼ったところで解けてしまった脳ミソはかえってこない。自分は、まだ普通の人間と同じ衝動を廃人となった患者がもって生きていることを知って、説明のできない底なしの恐ろしさを感じた。

 自分にできることは、トイレを掃除しながら、階段を掃きながら、患者の代わりに、ありがたいマントラを唱えることだけだった。来る日も来る日も、一人一人の患者の顔を思い浮かべながら、インドで最も重宝されているガヤトリ・マントラを唱えた。そのうちに自分は職務時間中に小規模なパニック発作が連続して起きるようになっていった。体力と気力の限界を超えている証拠だと気づかなければいけなかったのであるが、森田療法で叩き込まれた「倒れた後、休め」という格言が、自分を休ませることを許さなかった。

 深夜にパニックの大発作に襲われる前に、自分には休養が必要だったのだと今なら思う。しかし、判断を誤り、ひたすら自らの義務を果たせ―――――という森田療法の適応対象だと早合点してしまった。
 大パニック発作の後は、流石に病院で働けるような精神状態ではなかったので、仕事は辞めたが、その代わりに、ひと時も休まず、不安に体を震わせながら、念入りに家事をこなしていった。しかし、不安が不安を呼び、そのうちに泣き出すようになっていた。自分は森田の言う「目的本位で生きる」という法則に従って生活しているつもりだったが、今になって思い返せば、「症状を取るために家事に固着していた」ということがわかる。学生時代に森田療法で苦しみから脱出できたという経験が仇になってしまったのである。

 何気なくネットを覗いてみた。自分の深夜の発作は何だったのだろう・・・と、検索をかけてみた。「パニック発作の診断基準」を12項目くらい箇条書きにして掲載されているのを発見し、それが全て自分に当てはまっているのを知って初めて、「パニック発作」という神経症があることも知ったのだった。パニックは放って置くとうつ病になるとも書いてあった。そういえば、自分は何日も家族と口をきいていないことに気づいた。結局、生半可な知識だけで自分をすり減らし、本格的なうつ病に陥り、こじれるだけこじらせて初めて、心療内科を受診したのだった。結局、ミイラ取りがミイラになったことを思い知らされることになったわけであるが、この報われない努力の結果、訪れた事実を受け入れるのに5年はかかっただろうか・・・。

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