これが私の書きたいこと! 失いながら生きる(3)

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失いながら生きる(3)

 自分は入院できる病院を少なくとも2箇所は確保しておかなければならない。今のご時勢、入院したいと申し出る「任意入院」の場合、ベッドさえ空いていれば断られることはないのだが、殆どの精神科の病棟は「混合病棟」――――どんな種類の病気の患者も同じ一つの病棟で管理している――――そのため、そういう管理形態をとっている病院には、うつ病の入院患者が極端に少なく、アルツハイマーや統合失調症、非定型精神病・・・の患者が大勢を占めていることが多い。

 自分は大学時代に神経衰弱にかかり、町じゅうのドクターをショッピングしてみた。自分でもうつ病ではないかと疑っていたので、うつ病のような症状を診察中に話していたと見えて、彼らは殆ど悩むこともなく、瞬時に「うつ病」と診断して、軽い精神安定剤と抗うつ剤を処方して「3日も飲めば元気もでますよ」―――――みたいなことを、まるで医者同士が口裏を合わせているかのように猫をなでるような声で語りかけてきていた。
 3日どころか、その後も「不安」「焦燥感」といった症状は悪くなる一方だったので、これは入院すればなんとかなるのではないかと思い、一番信頼できそうな医者に思い切って切り出してみた。
 しかし、件の医者は

 「君が精神病院というところが、どんなところかを知らないからそんなことを言うんですよ。悪いことは言わないから、入院したいなどという考えは捨てなさい。薬を飲んで様子を・・・・」

 「先生、通院で治らなければ、入院したいと思うのが普通じゃないんですか?このまま漫然と薬を飲んでいても、一向に状態は上向きにならないし、夜間には不安発作が起きて、毎日が怖いんです。どうか入院させてください」

――――こんな押し問答をどのくらい続けただろうか。自分は、もう入院しかないと決めているのだから、医者を説き伏せることに一生懸命で、医者の説得など聞いてはいなかった。
 結局、入院の許可をもらって病棟に足を踏み入れたのだが、自分は一瞬で、そこに来たことを後悔した。「看護婦に退院させてくれ」と申し出たが、ドクターの回診は週に一度しかないから、それまでは出すことはできないと告げられて、自分は無実の罪を不当に着せられて、これから何日間、拘置されるかわからない世界一不幸な人間になっていく有様がありありと見えるような気がした。
 一日中、壁に向かって大声で叫ぶ痴呆老人、壁を背もたれにして座っている男は、一点をじっと見つめたまま、たった3回吸っただけでセブンスター1本を根元まで灰にした。新参者の自分に沢山の女性患者が群がってきた。質問攻めである。後悔にまみれて、部屋で荷物の整理を始めたら、2人部屋の相手の老女が、自身の身の上話をいきなり小さな声で始めた。

「カワラデ アネノアタマヲ イシデ コツントタタイタラ ココニ ツレテコラレマシタ・・・」

 夜間、消灯前には患者は一列に並ばされて、夜勤の男性看護師の前で大きく口を開けなければならなかかった。薬を飲み忘れて症状が危険な状態になる、というか、精神病患者にとっては、薬を定期的に飲まないでいることは非常に危険なことなので、そうやって並ばせて、口を開けさせて錠剤を流し込み、飲み込んだのを確認するのが夜勤看護師の大事な仕事のようだった。
 私はそういう処遇がひどく屈辱的に感じられ、到底受け容れ難いものだったので、

 「自分で飲めるから」

 と言って、看護師の手から薬をむしり取ろうとしたが、聞き入れてはもらえなかった。自分は意地の悪い、疑い深い目をした看護師に言われるままに口を大きく開け、薬を流し込まれるのを我慢しながら、自分はとんでもない所に来てしまった、ここにいては神経は衰弱するするばかりだ、早く家に帰らなければ・・・そんなことを考えながら布団にもぐりこんだ。
 
 消灯時間までにはまだ早かったので、1階の食堂から看護師の談笑する声や患者のわめき声がうるさくて眠られずに我慢していたら、突然オペラ歌手の声が聞こえてきた。てっきりレコードが始まったのだと思っていたら、その声はレコードではなく、一日中ニコニコ笑っている恰幅のいい中年の女性の生の声だということがわかった。その声量といい、発音といい、情感といい、あらゆる点において一級品であることには間違いないという確信があった。この人は絶対にただの素人の愛好家ではない。高校の友人で声楽をやっていたのも多かったし、自分自身も地元のNHKの児童合唱団で長いこと歌っていたからである。
 
 翌朝、気さくに話しかけてくれる躁うつ病の高校の先輩患者に、早速昨夜のオペラの話をしたら、彼女は笑いながら「時々歌うのよ、彼女は。すごいでしょ。本物よ。天皇陛下の前で歌ったこともあるんだってさ」とだけ教えてくれた。
 件のオペラ歌手に少なからず興味がわいたので朝食のとき、話しかけてみようかと思い観察していたが、彼女はご飯の上に焼いたウインナーを数本載せると、味噌汁をその上から一気に流し込み、何分もしないうちにそれを胃袋に収めたのだった。そして、隣に座っていた自分の高校の先輩と、神と仏についてというテーマで、あまり馴染みのない哲学者の言葉を引用しながら、それこそ口角泡を飛ばしながら、お互いに一歩も引かないという勢いで論争に入ってしまい、言葉をかけるチャンスを失ってしまった。
 
 自分は「カミヒトエ」という残酷な現実のお手本のような人物に思いがけず遭遇したことに、少しの幸運と世間の不条理とを頭の中でいっぺんに処理できず、以後、彼女に話しかけようとは思わなくなっていった。そしてその夜から、あつこちゃんという女の子が毎晩自分の部屋に遊びに来るようになった。
 当時、私は大学の3回生だったから、10歳くらい幼い小学生だった。あっちゃんは自分の枕もとに座ると自らの身の上話を長々と途切れなく話す少女だった。

あっちゃんは母親が失踪してから、父親の愛人が家に居座るようになり、それが嫌で抜け出したかったから何度も自殺を試みているようだった。当時の自分は神経症の範疇にかろうじて収まっていたので、死ぬということをとても恐れていた。だからこそありとあらゆる病院をめぐっては検査検査の毎日を自分は送ってきていた。死ぬことが一番恐ろしいことだった自分。その自分よりも10歳も若いあっちゃんの身の上話の数々は、自分には夢のような、御伽噺のようにしか聞こえてこなかった。

 当時は睡眠薬で死ねた時代である。「睡眠薬を一瓶飲み干したことがある」と聞いても、そんな恐ろしいことを人間ができるわけが無いと思っていたから、彼女の口から紡ぎだされる言葉からは、なんら現実感が伝わってこなかった。かといってウソをついているのではないという確信もあった。死に至る病に陥ってしまったのではないかと右往左往していた学生時代の自分はうつ病ではなく、不安神経症だったのだということが、今ならわかる。
 自分も数限りない病院で胃を洗ってもらってはICUにお泊りするような立派な不良になったのだから。今ならあっちゃんに人生の先輩として気の利いたアドバイスの一つでも話してあげることができたかもしれない。同じ病気に自分がなってしまったのだから・・・。

 「退院させてください」

と病棟の婦長に何度もお願いしたが、病棟での婦長の権力は時として医者よりも大きいことがあるのだということがわかった。院長とて、病棟の事情を隅から隅まで知っている婦長のご機嫌を損ねたら、治療が上手く連携して行えなくなってしまうからである。その病棟の婦長は年季の入った婆さんで、国立病院か市民病院あたりから引き抜いてきたと見えて、他のナースとは歳の違いだけからくるものとは様子の違う一種のプライドとも言えぬふてぶてしさがあった。
 患者に対しては犬・猫扱いで何度も退院をお願いしたけれども、

 「治ってからじゃないと退院は無理です」

と言われ続けていた。ある日自分は決心して婦長のお目通りをお願いして時間を作ってもらい、もう何の症状もないし、不安も焦燥感もないので、もう治りましたから早く退院させてくださいと、相手の目をまっすぐに上から目線で見据えて、視線を逸らさない様に用心して、一気にまくしたてた。
 その間も件の婦長は笑顔一つ見せず、完全に疑っているよという光線を発射させながら、身じろぎもせず自分の瞳の中の奥を覗き込んでいた。結局この時に大事な友人が側にいてくれて、私のことを援護射撃していてくれたから、あのような狭い密室でパニック発作を起こさずに演技ができたのだと思う。2人きりだったら脳神経が活動するぎりぎりまで婦長の演説を聞かされて、パニックの果てに自分は倒れていたと思う。この友人には今でも深い繋がりを感じる。きっと、どこか知らない国で昔、一緒に遊んだ幼馴染かなにかではないかと思う。

 患者には一切の非はない。しかし、自分は神経質だからそういう環境のもとでは、まずご飯が食べられない。食欲がないと言うよりも、吐き気がするのである。
 精神科の患者は体を清潔に保とうという配慮が完全に欠落していて、陥没骨折の域に達している輩が多い。彼ら彼女らの着ているものや、髪の毛から発する人間独特の「垢」の臭いが食べ物の香と融合してこの世のものとは思えないほどの「悪臭」というシンフォニーを奏でる。
 痴呆老人を見るたびに、「この人は何のために生きていなければならないのだろうか・・・」と我が身に置き換えて自問自答してしまう自分には到底説明がつかず、結局胃の入り口が閉じてしまうのである。入院中は一日に1キロの割合で体重は落ちていった。そして、そういう病棟のトイレは推して知るべしである。扉が壊れていたり鍵がかからないなどは当たり前で、直してもすぐに壊す輩がいるのだから病院側も怠慢にならざるを得ないのだろうと勝手に合点していた。もちろん、そんなところでリラックスして用が足せるわけがない。いつも扉を手でひっぱってしゃがみこみ、こちらの希望通りにはなかなか出てきてくれない排泄物が便器をいっぱいにするまで、汗を流し、しびれる足にイライラしながら待たなければいけなかった。
 その間にも他の患者が入ってきて、大声で歌を唄いながらトイレの扉を思い切り蹴る。

「マズーシサニ マケター イヤ カッタアー イイエ セケンニ マケター イヤ カッタアー・・・」

 自分はまだ21歳だった。

 内科や外科の病であれば、知り合いや親戚の口コミを上手に利用して、最終的に自身の性格や医者の人格や知識の深さ、経験、病棟の清潔さなどを天秤にかけ、主治医になってもらいたいと望む医者のいる病院にかかりつけ医になってもらえばいい。後は余所見をする必要もなく治療に専念すればいい。
 しかし、自分の場合、入院する時は自らお願いして入れてもらうのであるが、出るときは殆どと言っていいほど、病院から追い出される形となるのである。「任意入院」から「強制退院」が、このところ自分のパターンとして定着してしまっている。
 これはひとえに、自分が他人の切々と語る身の上話から始まる相談事を盲信し、首を突っ込みすぎてしまい、空回りした挙句にしでかす騒動のなせる業なのだが・・・。
 強制的に退院させられた後にも受け入れてくれる病院、しかも安心して入院できる「うつ病専用病棟」もしくは、それに準じた病棟を持つ病院との縁を切ってはいけないのである。
                  
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No title

これは実話である。と、真に受けて読んでいますが、
二十数年前でこの状況ですか。
日本の病院の使命感の無さ、本末転倒な都合主義がいかに根深いかという事をあらためて考えました。

自分の母は、統合失調症を長い事やっているのですが、
ぼくは母の病気の名前をつい最近知ったのです。
精神科医に面談して聞いたのですが、
ついでにウツと関係があるのか?という事も聞きました。
返答は次の通りです。

「ウツは風邪のようなものであるならば、統合失調症は肺炎くらいの差がある」
「車で言えば、バッテリー液の補充で事足りるのがウツで、バッテリーの交換が必要なのが統合失調症」

ということでした。

ですが、

「ウツ患者は深刻な事態(自殺など)を起こすので目立つが、統合失調症はおとなしいので世間的に騒がれる事は少ない」

とも言われておられました。

本当はウツまでケアしたいけれど、
ベッド数、看護夫などの人員の不足によって、ケアしきれないというのが現状ですね。
ですが、それだけじゃない。

病として重く、患者数が多いのは 統合失調症で、
病軽いが、命の重さから見れば、ウツの方が重い。
扱いやすくて、数的に貢献度(医療側から見た成果、満足度)が大きい方は一目瞭然なわけで、
ケアのためのハード、ソフト両面の不足だけではなく、
考え方とか、熱意の時点ですでに問題があると感じました。
母の事はぼくもブログで綴っていくつもりです。
「まざこん」というカテゴリに入れております。

ちゅうわけで、

読んでます!
興味本位だけど、
他人事ではないのです。
もちろん、文章自体が読みやすくて好きなのもありますw

無理なく執筆くださいませ。

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